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令和4年度数学部会の講師である 法政大学 鈴木麻美 教授から講演の補足の連絡が届きました(2023.3.8)

 令和4年度数学部会で講師をしてくださいました、法政大学 教授 鈴木麻美 氏 から、「講演の際にご質問いただいた方に、十分な回答ができなかったので、改めて補足という形でお答えしたい。」というご連絡をいただきました。
今回の講演では、数学教育の在り方について、大変参考になるお話をいただいたところでしたが、わざわざ上記のことを気にかけてくださり、ご連絡いただいたことに、事務局としては大変感激しているところです。
せっかくの機会ですので、質問者へ回答するだけでなく、高教研数学部会の皆様にも読んでいただきたいと思い、HPへの掲載をお願いしたところ、ご快諾いただきました。
以下に、回答の補足を掲載いたしますので、ご覧下さい。

講演の際に回答が不十分となっていた質問についての補足

法政大学 鈴木まみ

 

 

 2023年1月12日の講演会の際に、ある先生から「数学の質問に来る生徒さんへの対応」に関して質問を頂きました。内容は、

  

・質問に来る生徒さんに、模範解答を書いたプリントを配布している先生は人気がある。その一方で、質問に来る生徒さんに「どこが分からないのかを一緒に考えよう」と、それぞれの生徒が、どこで躓いているのかを探ろうとする先生は、生徒からの評判が悪い。自分としては、生徒の躓いているところを見つけてから指導したいものの、どのように対応をすればよいのだろうか?

  

と言うものでした。これに対して、

 

模範解答を配布することは、生徒にとっては楽。なぜならば、その解答を丸暗記すれば、その問題は解けるようになり、手っ取り早いからです。当然、その先生の人気は高くなるでしょう。ただし、それでは、本当の理解にはなりません。しかしながら、プリントを配布する先生に「良くないです」と、一対一で話すのは危険です。数学の他の先生と一緒に、学校としての指導方針を検討してはいかがでしょうか。

 

と回答致しました。実際に来る生徒さんへの対応に関して、無回答になってしまいました。遅ればせながらアドバイスを追加させていただきたいと思います。

 

私のところに質問に来る学生にも、いろいろなパターンがあります。授業後すぐに来る学生は「ここから、どうしてこうなるのかが分からない」というように、「どこ」が判明している場合が多いので、すぐに解説することができ、彼らは「分かった!」とすっきりして帰っていきます。ところが、試験前になって「わからない」とやってくる学生に「どこがわからないの?」と聞くと、多くの場合「全部!」と言います。 “試験が近いから、ちょっと見てみようかな?と思ったものの、ノートを開いたところで、ただ写していただけのノートを見ても、何やら全然分からない” あるいは “その時には分かったつもりだったのに、時間が経ってさっぱりわからなくなった” という悲しい学生たちです。私はこの場合「分からないところが分からないのでは、これまでの半年分の授業を、ここで全部やらなければならないでしょう。少なくとも、もう一度しっかり読み直して“分からない場所” くらいは確定させてから、もう一度いらっしゃい」と追い返します。するとしばらくしてから「ここと、ここが分からなかった」とやってくるのです。

ところが、高校で「分からないところすら分からない生徒」を“追い返したら”ますます先生の人気はダダ下がりになってしまいますから、その場で「一緒に考えよう」となりますが、生徒にとってはその場に引き留められることも嫌で「すぐに正解のプリントをもらって、さっさと帰りたい」と思うことでしょう。

 

さて、これを日常生活に当てはめて考えると、まったく同じことは良くあります。例えば病院に行くのもその一つです。「具合が悪い」と、病院あるいは近所の医院へ行き「薬だけください」という人は居ます。ところが、当然、病院であれば診察無しに薬をもらうことはできず「何科をご希望ですか?」と受付で聞かれ、症状など色々聞かれてから「それでは、消化器内科に行ってください」などと、診察の科が決まるまでにも問診があり、さらに診察室の前で長いこと待たされて、医師にはもう一度症状を細かく聞かれ、検査が必要な場合もあり、ようやく“病気の予測ができてから”薬が処方されます。近所の医院に行っても、継続して通院している同じ症状に対しての薬以外は、診察無しに薬をもらうことはできません。どんな病気なのかも分からない人に、医師は薬を出しません。薬によっては逆効果で病気を悪化させるのですから、そんな恐ろしいことはできません。にもかかわらず「熱があるのだから、解熱剤を下さい。早く熱を下げたいのです。時間が無いので、薬だけください!」、「インフルエンザに違いないから、タミフルください!」と受付で診察を拒む人も居ます。「模範解答のプリントだけください」は、正にこれと同じことです。模範解答のプリントで、生徒が死ぬことはありませんが、生徒の分からない部分を治す効果はあまりない無いのです。

 

動かなくなった時計も、まずは蓋を開けて“何が悪いか”を見つけ出さない限りは、直すことはできません。高級時計が壊れて「とりあえず時間が分かればいいから、オリジナルとまったく変わっても構わない。ムーブメントをそっくり入れ替えてください」 と言う人は少ないでしょう。ちゃんと修理をする際に、壊れているオリジナルの部品が手に入らなくとも、原因が分かれば、職人さんはその部品を新たに作って、元のように直してくれます。

スポーツや音楽の世界でも同じようなことが言えます。「うまくいかない時」には、「どこが、どのように」という問題点を見つけ出さない限り、本当の問題解決には至らないのです。

 

私たち数学の教員はこのように「どこが分かっていないのか」を判断できないと、生徒のモヤモヤを解消する手立てが分からなので、必ず「どこが分からないの?」と聞きます。ところが、中には質問の中に登場された先生のように、事前に解答を用意しておき、質問された問題の解答をすぐに渡すという方もいらっしゃるのかもしれません。病院の例で言えば、“何の病気か全く分からないまま、とりあえず解熱剤を渡す”ことと同じ。いったん熱が下がるかもしれませんが、病気が治っている訳ではないので、また具合が悪くなる。すなわち、別の問題で、今躓いている内容に出くわせば、そこをしっかりと理解できていない限り、また分からなくなる。このように、模範解答をすぐに見ることは、学習効果があまり無いものの、教える側も教わる側も“時短”となるので、サービス業としては人気が出ることもあるでしょう。

 

しかしながら、この研究会に参加されている先生方は、こうした時短サービスとしての満足度を上げるのではなく、時間をかけてでも「生徒の学力向上」について真剣に考えてくださっているのだと思います。そのような先生方の生徒への思いに対して、生徒が嫌がるのではなく「納得して一緒に問題に取り組む」ように仕向けるには、上記の医師の例を使ってみてはいかがでしょうか?

 

「 “具合が悪いから薬をください”と医師に言っても、ちゃんと診察をして、どんな病気なのかが分からなければ、どの薬を出せばいいか分からないでしょう?」

 

「数学も同じ。どこで躓いているのかが分からなければ、何故そこが分からないのか、解決できないでしょう。似たような問題が出たら、また分からなくなる。次に、まったく同じ問題が出るのではないのだから」

 

「でも今、分からない所が解決できれば、今度は別の問題でも、そのことを活かせることがきっとある」

 

とお話しされてはいかがでしょうか? 生徒によっては、部活などの例を持ち出してお話しされることも良いと思います。

 

また、質問に来る生徒さんへ、一人一人にお話をするだけでなく、まずは授業の中で、全員に対して

 

・質問に来る場合は、どこが分からないのかをまずは自分で考えて。分からない部分を解決しなければ、また、似たようなところで躓いてしまいます。

・分からない部分さえも分からない場合は、一緒に「分からない所」を探しましょう。

・数学の解答はひとつではありません。途中で躓いてしまっても、みなさんが考えたその解答方法は、私が考えた解答よりも良い方法かも知れない。一人一人の考え方に沿った「オーダーメイドのアドバイス」が最も学習効果が高いのです。

 

と話し、「なぜ、こうした準備が必要なのか」を、上記の例などを使い“生徒さんたち全員”に伝えることが必要かと思います。全員に話すことで「この先生の方針」が伝わり、また、その「理由」も伝わるでしょう。このことで、先生を理解してくれる生徒も増えてくると思います。いくら正しく良い指導をしていても、その理由を伝えないと、相手には理解してもらえないことも多いです。

それでも「その場限りだけで良い」 と言う生徒さんもいるでしょうが、少しずつでも「この先生の説明が良く分かる!」と言う生徒さんが増えてくることを期待しましょう。

 

数学の問題には、単純な小さなもの以外では、いろいろな解答があります。多少アレンジされていても、力技でいつも同じようにガンガンやっていく方法、あるいは、問題の設定に応じて柔軟に、取り組む方法を変えながら、エレガントにやっていく方法。人それぞれに、解答方法は異なります。どちらが良いという事でもないでしょう。スポーツも音楽も、同じプレイをするにしても、人によって良さは違います。これに近いものが数学にもあると思います。「生徒一人一人がどのように考え、解答をしようとしているのか」を見て、良いところ、悪いところを教えることは大切だと思います。

 

最近の学生の中の、“模範解答の丸暗記勉強”をしてきた学生は、問題の「雰囲気」だけを見ていて、その「雰囲気」を感じた場合はそれに対応する「解答の雰囲気」を使って答えを出そうとします。数学は、一言ひとことがそれぞれの意味を持ち、それ一つ一つに対応する解決方法を組み立てていかなくてはなりません。ところが、近年の学生の中には、一言ひとことを読み取ることをせず「この“タイプ”の問題はこんな雰囲気で書いて行けばいい」と、問題に書かれている事・問われている事とは無関係のことをやろうとする人が増えています。困ったものです。

 

ご質問への回答は以上でいかがでしょうか。

 

 もう一つ、講演の後で「ICTの取り組みは、逆のことをやっているのではないか?」と発言された先生がいらっしゃったと思います。「質問」と言う形ではなかったので、お答えしなかったと思います。私の意見を述べる前に、講演のときの参考文献[2]「アメリカの教育改革」などからアメリカにおける教育の例を挙げたいと思います。ICT教育全般に直接関係することではありませんが、活用面において、ご参考になる部分もあると思います。

 

 アメリカでは、1960年代から1970年代にかけて、実学を重視する傾向がありました。例えば「生徒は卒業するとタイプライターを使う機会が多いのだから、タイプライターの使い方を学ばせた方が良い」という事で、国語(英語の事)の授業を減らして、タイプライターを打つ授業を行うなど、基礎学習を減らしました。その結果、卒業生達はタイプライターを打てるようになったものの、打つ言葉の綴りは間違いだらけで、読み書きができない。軍の兵士達は、銃の取扱説明書さえ読めなくなってしまったそうです。

 これでは困る「実学重視の教育は失敗だった」と、1970年代後半から教育の見直しと研究が始まり、その結果、講演でお話ししたように「基礎教育は大事。中でも数学の学習が最も大事」と切り替わったのです。この結果、1983年にアメリカ教育省が「危機に立つ国家」を発表し、今年でちょうど40年になります。 もちろんアメリカだけではなく、海外ではこうした方針の研究発表が出されています。

日本も、「実学重視の教育」から「基礎教育、なかでも数学の教育が最も大事」ということに気づき、方針を転換する必要があるのではないでしょうか。

 

さて、ICT教育については、OECD加盟国の中では最下位と後れを取っている日本です。利用法を誤ると、上記の例のようなことも考えられますが、有効活用できる部分もあるのではないでしょうか。実際、私の場合はZOOM授業の方がうまく進められる科目があります。学生の作ったシミュレーションの実行画面や原稿、あるいは解答を、一瞬で全員が同時に共有できる事は非常にありがたかったです。残念ながら、次年度からは、”霞が関”の指導により、大学では「黒板+ノート」「事前にコピーを取ってから授業に参加」に戻されます。とても不便になります。

みなさまも、技術的な部分にあまり捕らわれずに、「便利」と思えることから、少しずつ取り組んで行かれてはいかがでしょうか?

 

  2023年2月27日

 

すずきまみ   

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最終更新日:2023年03月08日

  • 発信元: 数学部会